『NY背中日誌06』

 2006年12月2日、ニューヨークのTaipei Cultural Center of TECO(台北カルチャーセンター)で、畑澤聖悟の代表作『背中から四十分』の英語版"40 Minutes from the Back"(翻訳:近藤強)のリーディング公演が行われました。これは、日本の演劇文化を海外に知らしめる目的で設立されたTheatre Arts Japan主催のステージリーディング・シリーズの第2弾で、なべげんドラマターグの工藤が単身渡米、演出を担当しました。当時のメモを元に、現地の俳優、スタッフとの10日間に渡る共同作業の様子や、日本の現代戯曲を海外で紹介する試みに対する考察をまとめましたので、ご一読の上、NYの空気を共有して頂ければ幸いです。この場を借りて、大変御世話になりましたTheatre Arts Japanの宮井さん、山添さん、小川さん、D Projectの近藤さん、私のNYでの演劇活動をいつも支えてくださる皆様に感謝致します。
渡辺源四郎商店ドラマターグ 工藤千夏

2006年11月24日 気がつくと日本語ばかりしゃべっている

 アメリカ時間の23日夕方に着いた訳だが、とりあえず時差ボケなし。14時半より18時まで、近藤さんのアパートメントで、相本役の近藤強さん、せつ子役の谷和恵さんと三人稽古いよいよ開始。とりあえず。一回読んでもらう。全体のトーン、通してのキャラの説明の後、細かい直しを入れながら、再び読み返し。読みながら、翻訳上の疑問や、元台本と秋のなべげん公演で変わったところなどをすりあわせ、正解を探る。翻訳上の間違い/正解と、読み(役者の解釈)の間違い/正解をつぶしていく。明日とあさって、これを全部済ませてから、全員稽古に臨む。リーディングではなく本公演をしたいくらい、二人とも読み込んでいる。すばらしい。

 英語で演じる芝居を聞いていて、日本語でディレクションを出すのはたやすい。ま、演助に実際についていたので、どういう芝居にするべきか(リーディングならではのカリカチュアも踏まえ)わかっているから楽というのはあるが。だが、外国人キャストが入った稽古でも、同じようにできるだろうか。日本語と英語では、ボキャブラリーが100万と1くらい違うのに。できるだろうか、って今更ではあるが、留学当時より明らかに語学力が落ちてるからなぁ。まだまだ、始まったばかり。

2006年11月25日 やるからには英語でもウケたいのである

 朝食をとったら、睡魔に襲われて全く動けなくなってしまった。しょうがない。稽古に間に合うぎりぎりまでベッドに倒れ込む。時差よ、時差、これが時差よ!

 14時半から18時で、近藤さん、和恵さんと3人稽古。昨日に引き続き、「あれっ? ニュアンスが違う」と私が思った箇所を、翻訳がフィットしていないのか、俳優の解釈が違うのかをチェックしていく作業。今回は、俳優でもある近藤さんが翻訳をしているので、話がはやい。

 たとえば、オイルマッサージについて話すくだり。

相本  お肌つるつるになっちゃたり、するの?
せつこ お肌つるつるになっちゃったり、しますね。

ちょっと飛んで、

せつこ お坊さん、エステしませんから。
相本  そりゃそうだろう。
せつこ お肌つるつるの必要ないですから。
相本  頭はつるつるだけどね。

という会話がある。この、だじゃれはどうしたら伝わるのか?

Aimoto : Does my skin become, smooth?
Setsuko : Your skin will become smooth.

Setsuko : Monks don't do esthetics.
Aimoto : I'm sure they don't.
Setsuko : They don't need to hae their skin smooth.
Aimoto : Their heads are smooth though.


基本の体勢。相本役の近藤とせつこ役の和恵(本番)
「つるつる」は「SMOOTH」で正しいのだけれど、お肌つるつると、頭つるつるがかかっている面白さは、「SMOOTH」で通じるのか? お肌がきれいという情報ではなく、頭に毛がなくてつるっぱげな感じが出ているのか? 書かれているのは「つるつる」ということばでも、むしろ「ぴかぴか」? 「つるつる」のニュアンス問題が気にかかって、二人に質問。話し合いの末、とりあえず、「SMOOTH」を「SHINING」に変更。

 もちろん、だじゃれだけではない。なかなかマッサージを始めないせつこが、「よし!」といって、いよいよマッサージを始めるときの「よし!」をどう訳すか。

せつこ (独り言)よし。
Setsuko : (to herself) Good.

これは、間違いではないか? 相手に言っているように聞こえる。日本語では確かに「よし」と書いてあって、「よし」と言っているが、「よし、始めるぞ」であって、「良い」ではない。よって、以下に変更。

せつこ (独り言)よし。
Setsuko : (to herself) Ready, go.

てな具合の作業が延々と続くのだ。
 今回思ったこと。劇作家の個性が、この作業には大きく影響する。だって、これまでやった平田オリザ、永井愛(敬称略)の戯曲では、ここまで、この翻訳でちゃんとウケを取れるかどうかなんてなんて、考えてなかったもん。畑澤聖悟の戯曲は、『背中から四十分』みたいなシリアスな戯曲でさえ、ウケたいウケたいと笑いの地雷があちこちに埋め込まれている。


2006年11月26日 どうして日本人を演じる西洋人には違和感がある、と西洋人は言うのか

 14時−18時、稽古。本日も近藤さんのアパート(ありがとう!)で、和恵さんと3人。今回のリーディングは、椅子に座って読むのではなく、ベッドに見える台に寝て読んでもらうつもり。椅子とテーブルをとっぱらって、床に寝てもらい、ねっころがってリーディングできるか実験。行けそうである。ニュアンスを直しながら、通してみる。翻訳を直しても、まだ、気になるところはたくさんある。いくら台詞を覚える必要がなく、台本に注意が書けるからといって、一度言われたダメ出しがすぐに全部ぱっとできる訳もない。特に、相本、せつこそれぞれにある長ゼリの組み立てに難航。英語として云々をねぐって、日本語の台詞と同様に、どこで気持ちをいれるか、どのことばを立てて欲しいか、気持ちを入れるときに大きく開くのか押さえるのか、細かく指示を出す。

 ところで、昨日からディスカッションしていることに結論を出す。今回、4人のキャストのうち、女将とフロントはアメリカ人である。最初、近藤さんは、彼女たちの名前だけアメリカ人の名前に変えることを提案していた。西洋人が稲葉とか野島とか呼ばれると、観客は見ていてものすごい違和感を覚えるというのだ。確かに、留学中に『阿呆列車』(作:平田オリザ)の英語版と日本語版を比較するリーディングをやったとき、アメリカ人キャストにそのまま演じてもらったら、終わった後のディスカッションで違和感を訴えた人がいた。でも、翻訳劇上演の長い歴史を持つ日本人は、つけ鼻も鬘もなしでシェークスピアでもサム・シェパードでもなんでもやるよね。オリザさんの芝居、フランスでフランス人キャストがやるときも、そのまんまやってるよね。アメリカ人だって、アメリカ人のまんまで、チェーホフもゴーリキーもやるよね。西洋人同士が違う国の言語をしゃべることには違和感がなくて、西洋人が東洋人の役をやることに抵抗があるのって、それは、偏見に基づいているのでは? センシティブに、ちゃんと考えたら、映画『サユリ』で、中国人に日本人芸者の役をやらせることなんて、あり得ないでしょ? あれもオッケーにした私(鈴木清順の映画みたいだと思うことにした)は、今回、アメリカ人の二人にも「野島」と「稲葉」でやってもらうことにした。というか、「弘前」「4500円」「津軽三十三ケ所めぐり」がそのままなのに、いきなり、ホテルの女主人と従業員だけアメリカ人になると、いったい、これは、どこの話なんだということになって、アダプテーション(潤色)のバランスが変なのである。

 もし、リーディングではなく、アメリカで公演を打つ、プロダクションを立ち上げるとなったらどうするか。私としては、たとえば今回のキャストでも、そのまま日本という設定でやってみたい。ステレオタイプの「日本人」を演じるのではなく、その「野島」「稲葉」という役を演じるのだ。どうだろう?

 ちなみに、ウケるために、日本の固有名詞では全く意味が通じないので、置き換えたものもある。どうだろう?

せつこ だって「お客さん、イトーヨーカドーの地下でタコ焼き焼いてるでしょ」とか言われたら気持ち悪くありませんか?
相本  ま、そうだね。
せつこ ギボアイコじゃないんですから。
相本  ははは。

Setsuko : I would be spooky if I told you "Sir, you make Sushi at a WHOLE FOODS", wouldn't it?
Aimoto : Yeah, it would.
Setsuko : I am not Dionne Warwick.
Aimoto : (he laughs)

 あと、変えたのは以下。
デンターシステマ → Colegate
「たわば」「ひでぶ」 → "Zap!!" "Pow!!" (アメコミの擬音)
TBC → Tokyo Beauty Salon (エステでチェーン展開しているいい例がなくて、困っています)


2006年11月27日 NY5日目 いよいよ本格稽古始まる

 時差でぐちゃぐちゃ。だが、ペンステーション近くのリハーサル・スタジオで、全員稽古。稲葉役のアマンダ、野島役のナンディータ(うまく発音できん)、ステージ・ディレクション(ト書き)のスペンサー。そして、近藤さん、和恵さん。隣の部屋からミュージカルの練習らしき歌声とピアノの音が聞こえてくるあたりが、いかにもNYで芝居の稽古をしているのだぁ! という気にさせてくれる。意を決して、すべて英語で所信表明。とにかく、持てる限りの言葉を尽くして、イメージを説明する。『背中』日本版は、ずーっと稽古についていて、とにかく作・演出と同じくらいわかっている芝居なのだ。もしかすると、自分の芝居よりも。

 まず、通す。ナンディータもアマンダもスペンサーも、ものすごい早口である。ニューヨーカーだなぁ。ま、それも良かろう。でも、近藤さんがペースのつられて、彼まで速くなってしまうのは頂けない。1時間で終了。動きがついて、1時間半だった訳だから、すごぉい速いよね。
 初めてアメリカ人の前で音にする訳だが、自分の出番のないときに、彼等にいろいろウケてるのがうれしい。あ、通じるんだ、このユーモアはちゃんと。よしよし。

 トイレ休憩ののち、まず、英語の表現や発音で変なところ、意味のわからないところを3人のネイティブに聞く。例の「つるつる」はshining よりshinyの方がいいということのになる。そこから、芝居そのもので理解できない部分がないか、確認。ユカタがなぜチープなのか、と、円は何ドルなのかの二つのみ。あとは、理解できるというか、全く問題ないという。よしよし。

 では、ということで、二人芝居の部分ではなく、おかみやフロントも出ているシーンを集中的にやることにする。ちょっとずつ、細かく止めて、ニュアンスをすべて説明する。本来であれば、役者に考えてもらう時間があった方がいいのだろうが、リーディングということで稽古期間が短いのと、「この演出家、ことばは拙いけどちゃんとわかってる」ということを最初にアピールするために、気持ちまで全部説明する作戦である。終わってから、近藤さんに「あんなにやっていいんだ」と言われたけれど、おかみとフロントがいるシーンは、思いっきりコメディに作るつもり。その方が、静かなシーンが生きるし、そもそも、この芝居、笑かして笑かして、泣かせる芝居だし。

 野島役のナンディータには、チップをもらう前と後の差をどう表現するかがポイントだと説明。「マクドナルドのマニュアル」、「小鳥のように」、「豹変」がキーワード。

 女将のアマンダには、「イギリス人のように」、「女王のように」、「オーナーらしく」を強調。見せ場のはずの三十三ケ所巡りの寺の名前を言うところで、とてもナーバスになっている。普通の外人は、ローマ字は英語読みになってしまって、ローマ字として発音できないのだ。ここに関しては、正しい日本語の発音など、全く求めていないことを強調。33数え上げること、それぞれがテンプルであることがわかればいい。あとは、ガイドとして、これを唱えることにとても慣れ親しんでいる、ということが伝われば、たとえば歌になってもいい。最初の三つと、ラストの一つだけ、挑むようにゆっくり。さすがに、ここは全くできず、明日までの宿題。

 アマンダ、せつこ登場のピンポンの際の「Yes」を、ただ返事していたので、この一言がとても重要だと長々説明。なぜなら、おかみは、ピンポンとなったときに誰が来たのか知らない。誰かがくるはずもない。野島は知っている。相本は全く関知していない。さ、おかみとしての返事は? これだけ説明すると、ぱっと変わる。面白い。

 あっという間に3時間。手ごたえはある。さ、あとは、どこまで行けるのか、詰めていかなければ。


2006年11月28日 負け惜しみに聞こえるけど「正しい英語」という印篭は嫌いなのである


会場と舞台セット
 リーディングの会場である42丁目の台北カルチャーセンターを下見。5番街と42丁目の交差点。銀座4丁目の三越のとなり、みたいな場所である。ものすごーくきれいなビル。劇場は、講演会主体の70席のホール。実際の芝居には辛いが、リーディングならちょーオッケイであろう。舞台2尺ほど上がっていて、客席から見上げる感じなので、最前列はつぶせるならつぶそうかと思う。3日間3公演それぞれの演出家が、初めて顔を合わせる。シアターアーツジャパンの山添ゆかこさんと、ロニートさん。去年演出した「俺の屍を越えていけ」のリーディングに比べたらほとんど動かないに等しいのだが、それでも、出はけをやる私のプロダクションが、一番動くらしい。マッサージの芝居なので、椅子に座るだけでなく、ベッド的な台にねっころがって役者に読んもらうと説明すると、台湾人の照明さん、大いに笑う。具体的な照明は、すべては土曜日の朝にフィックスということになる。

 下見終了後、グランドセントラル・ステーションの地下で、山添さんとお茶しながら情報交換。気になっている「日本人の名前」問題についても、意見を伺う。山添さんは、アメリカ人の観客としての成熟度の問題だとズバリ。そういうことが問題にならないためにも、もっと日本の戯曲を普及させたいのだとおっしゃる。ロニートが演出する"It is said the men are over in the stell tower"(『男達はその鉄塔にいるという』作:土田英生)は、"The Happy Lads"として、来年、リーディングではなくアメリカ人キャストで公演されるのだが、そもそも「どこか」という設定なので、日本社会を描くのとは違うらしい。ただ、名前は日本人の名前なので、「どこか」が日本だと思われるという懸念もあるという。別役さんの芝居などは、世界のどこかでいいと思うんだけれど、それでも日本なんだろうなぁ。

 夜稽古。野島役のナンディータが、アッパー・イーストの瀟洒なアパートメントを稽古に提供してくれる。出演者+ト書きの5人が全員そろうのは、これが最後。あとは当日のゲネなので、今日も、メイン二人の部分は飛ばして、みんなが出る部分のみ集中稽古。最初は、翻訳の話。

相本  「ええーっ、困りますぅ」とか言って照れたりしてると、やられ、ちゃうんですかね?
せつこ やられ、ちゃわないと思いますけどね。
相本  やられ、ちゃわないの?
せつこ あり得ないですよ。

「やる」「やられる」という日本語に対して、どんな英訳がベストなのか?
もともと、翻訳の近藤さんは、「rape」「fuck」では強すぎるし、劇作家はもうちょっとカジュアルに、遠回しに書いている、そのニュアンスを汲み取って、「screwed」を使っていた。

Aimoto : if you say something like "No, please don't " and get bashed......you'll get, screwed?
Setsuko : I don't think you get, screwed.
Aimoto : So, you don't get screwed.
Setsuko : That's impossible.

 ここに、イギリス系のアマンダが、get bashedも screwedもピンと来ないと異義と唱え、アメリカ人のスペンサーとナンディータにさらに意見を求めることに。いろいろあって、以下に決める。

Aimoto : if you say something like "No, please don't " and get shy......you'll get,...take advantaged of?
Setsuko : I don't think you get,...take advantaged of.
Aimoto : So, you don't get, take advantaged of.
Setsuko : That's impossible.

せつこの台詞は、I don't think so.でいいとか言い出すので、いや、それは、英語的には省略した方が正しいかもしれないが、ここは、くり返すのが劇作家の意図だから、とにかく三度くり返す必要があると主張する。そうなのだ、思い出してきた。英語で戯曲を書いていたとき、ネイティブ・チェックを受けると、この英語は間違いだからと言われる。ニュアンスが違うと私が感じようがなんだろうが、「正しい英語」という印篭には負けてしまい、そーいうんじゃないんだもんと唇をかんだものでした。今は、「わかんないけど、本当にそういうニュアンスが出てるの?」と、しつこく聞く術を憶えたけどね。この例なんか、「やられ、ちゃわない」の「、」が大事だったりするから大変。ことばなんて、気持ちとニュアンスを表現するための道具に過ぎないのになぁ。と、文法好きにも関わらず、実は心からそう思う。

 これは、私の英語力のなさに起因するのだが、あんまり翻訳や発音の訂正のみに時間をとっていると、芝居の本質はそこにはないのだと、ちょっとだけイライラする。もちろん、大事なのはわかっている。そこはクリアした上で、本質に入っていくべきだということも、ちゃんとわかってはいるのだが。


33箇所巡りに挑戦する女将アマンダと
疲れているナンディータ(ゲネ)
 女将役のアマンダの33カ所巡りの長ゼリ難航。昨日から進歩が全くみられない。そこを読めないということにナーバスになって、全体がガタガタ。昨日出した注意がすべて飛んでいる。客である相本に対しては、全く問題なしととりつくろうのだから、とにかく微笑みをたやさないでと、スマイル、スマイルと連呼。だが、笑いがこわばっている。KANNON(観音)が言えない(カノンになってしまう)ので、最後はすべてTEMPLEに変更。緊張が混乱を招き、ぐちゃぐちゃ。はい、わかりました、じゃ、ちょっと実験してみましょう。「1番目、1寺。2番目、2寺。3番目、3寺・・・・・・」という風に、面倒臭い発音を考えなくてもいいようにして、リズムとどういう言い方にして欲しいかをつかんください。"The Fisrst, One Temple. The Second, Two Temple......" 阿呆みたいだが、33番目まで2回やってもらう。その上で、最初の3つは、すべて、ピリオドがあって、相本に一つずつインフォメーションを渡す。その後、スピードをアップしていって、最後、33番目は、さあど、どうだ! と、挑みかかるようにと指示。「今のままでは、33言い終わって、ほっとしてる、っていうのがみえみえですよぉ」
 とか、言って笑わせようと思うのだが、それでも彼女はこわばったまま。休憩のときに近藤さんと相談して、名前を短くして、言いやすい発音に変えてしまうことに。あんまりそこだけやっても、プレッシャーを与えるだけなので、後は宿題にするしかない。ああ、こんなところに落とし穴があるとは。
 芝居がうまくできていくときは、私の英語も伝わっている。スムーズにしゃべれる。だが、一旦、芝居がガタガタになると、私の英語は浸透せず、壁にぶつかって跳ね返って来ているように感じる。とたんに、しどろもどろになる。コミュニケーションとは、そういものか。うーむ。

 ピザの宅配をみんなで食べる。休憩後は、広いリビングなので、テーブルを寄せ、椅子を本番のときのようにセッティングして、出はけや位置関係を把握してもらいながら、やはり全員の部分のみ稽古。ナンディータ、リーディングでも非常に表情豊か。自分の台詞がないときでも、野島の演技を続けてくれている。客に対してのキープ・スマイリングができていて、しかもチップ前と後の差があって、実にいい。とにかく、女将と野島がいる部分は、これでもかっていう位コメディに作るつもり。貞子的!な、せつこの暗さとの対比が、また、面白い。

 相本の「オイル・マッサージって、オイル?」の台詞、ト書きのスペンサーのツボらしく、必ず大笑いしている。
Aimoto : The oil massage means with oil?
Setsuko : Yes, oil. Lotion.

 全員部分だけ、もう一度通して22時よりはやめに稽古終了。スペンサーが、通常リーディングをやるときには、ト書きを読む奴が役者全員とアイコンタクトをとっておもむろに読みはじめる、というのを、ものすごーくわざとらしくやって、みんなで笑い転げる。じゃ、と、カーテンコールのだんどり確認で、「いっそ、日本式で。つかこうへいスタイルで、役者を全員紹介する?」と、声をはって名前を言うのをやってみせたら「それ、いい!」と、大いに受ける。ま、やらないけど。


2006年11月29日 日本語もできる演出家なんだとポジティブに考えてみる

 2時からアッパーイーストの近藤さんのアパートメントで、また、近藤さん、和恵さんと私の3人稽古。稽古前に待ち合わせて、病院の近くの大きな薬屋にせつこの白衣を見にいく。薬だけでなく、お医者さんの鞄やらやたらカラフルな聴診器などがあって、面白い。2種類ほど和恵さんにはおってもらうが、『ER』に出てくる医者っぽ過ぎていまいち。親切な店員さんには申し訳ないが、買わずに近藤さんの大きな白いTシャツを重ね着する方向で決定。20ドル浮かしましょう。

 本来ならこんなにリーディングの稽古に時間をとることはない、というので、せっかくの贅沢な時間を違うアプローチに使ってみることにする。なにかというと、日本語でやってもらってニュアンスを掴み、英語でやるときとどこがどう違うのか細かく検証してみよう! という企てなのである。英語しか通じない俳優と仕事をするときにはできないことだが、メインの二人は日本人。つまり、劇作家本人が書いた原文のテキストに当たれるということである。私の英語が拙いから日本語でという話ではなく、日本語ができるというアドバンテージを生かすのだ。英語版で私がときどき感じる「ことばが流れてしまう感覚」が、英語ゆえの必然なのか、俳優の問題なのか、演出で変えられることなのか、単に、私の語学力の問題なのかも検証できる。翻訳のさらに微妙なニュアンスの違いもチェックできるし、これって、かなりいいかも。


マッサージの冒頭、深呼吸させるせつこ役の和恵(ゲネ)
 女将と野島が去って、相本とせつこがマッサージのメニューについて話し、いよいよマッサージを始めるくだり。実は、近藤さんと和恵さんの日本語の芝居は初めてである。どきどき。
相本  (咳払いをする)
せつこ (気付いて相本の方を向く)
相本  ・・・おまたせ。
せつこ おそれいります。
相本  Tシャツ着てるけど、いいよな?
せつこ はい。コースの方はどうなさいますか?
相本  コース?
せつこ 全身コース、足ツボコース、リラックスコース、オイルマッサージコースと、ございますけど。
相本  どれでもいいよ。
※ここから、マグロのくだりまで。

 あー。近藤さんの表情が! 眉間のしわと口の脇の筋肉が動き過ぎて、不機嫌な表情を作っている感じが全面に出て、ものすごく不自然な感じがする。普通の日本語を話すときに、そういう顔はしない、と思う。少なくても、青年団やうさぎ庵の芝居でやったら、余計なものを足している感じがしてしまうだろう。英語を話すときは気にならないんだけどね。和恵さんの方は、「感情を抑圧して懸命に仕事をする」感じが、英語では巧みに出ていたのに(特に、コース名を挙げるくだり)、日本語だと、せつこのキャラクターとしての抑揚のないしゃべりではなく、単に一本調子で、全く人格も感情もないフラットさに変わっている。なぜだろう? なぜだろう?

 考えて、『背中から四十分』という芝居の持つ背景を忘れてもらい、WS仕立てでキャラを変えていく作業をやることにする。せつこは18才、専門学校出たてで、マッサージの仕事が大好きで、この職を得たばかりで、楽しくて楽しくてしょうがない。相本も、自殺するような背景はない普通のサラリーマン。はい! 「不機嫌な、自殺しそうな40男」というキャラを作っていくのではなく、なぜそのことばを発するのか、ことばの一つ一つに色をつけていく、かっこよくいえば、命を吹き込んでいく作業。・・・・・・ああ、変わる変わる。どんな色が不足しているのか、ぱっと見えてくる。さらに、「普通の」という設定に、いろいろな負荷をどんどん足していく。せつこはさっさと準備したい+相本はそれを止めたい+せつこは今朝ちょっと彼とけんかしている+相本はせつこを怒らせたい・・・・・・。同じことばでも、発し方によっていかにいろいろ変わるかを体感してもらう。そして、英語に戻す。よし。この方法論はイケル! と、確信して、電話や後半の長ゼリもすべてこれでやることに。

相本 あ、もしもし。・・・私です。いまどこ?・・車?・・運転中?・・・こっちに向かってるんですよね?・・・・・・・・・・・ああ、よかった。(激しく安堵する)いやあ、来てないからびっくりしゃって。

 表情をフラットすることに気をつけて(つまり、ことさらに不機嫌な自殺しそうな中年男っぽくしない)発すると、近藤さんの台詞はいい感じにナチュラルになった。「ああ」と「よかった」なら、「ああ」の方に気持ちをこめることを指示。「いやあ」と「びっくりしゃって」も、「いやあ」に気持ちを。意味のないことばに意味を、ことばだけで意味が伝わる単語はフラット気味に。

 英語でやってもらう。
Aimoto : Uh, hello......It's me. Where are you?......In a car? ......Driving? ......You're hdading this way, aren't you? .....................Oh. that's good. You know, when I foundout you weren't here I was surprised.

 あれれれ、日本語とニュアンスが全然違ってる。日本語バージョン演技との違いは、(得意の!)日本語で指摘できるので、細かく確認作業。「私です。いまどこ?」It's me. Where are you? は、一続きでしゃべりたい。どこにいるのかが、ひっ迫して知りたいことだから、電話がつながるや否や聞く。これは解決。「こっちに向かってるんですよね」が、とても違う。不可疑問文の aren't you? だけで、来てるはずという切迫した期待を込めた確認を表しているように聞こえるのだ。つまり、「(普通に)こっちに向かってる、(急にひっ迫して)ですよね?」という感じ。英語の場合、aren't you? にすべてを託すしかないのか? センテンスの最初から、ひっ迫して欲しいと伝えると、納得した近藤さんは、ナチュラルにするために You're hdading と省略して綴った部分をYou ARE headingという風にして、そこも強調すれば大丈夫だと言う。なるほどそういうことか。イントネーションの問題だけでなく、ストレスの置き方も問題なのである。当たり前か。あとは、さらに香辛料のようにふりかける、俳優個人個人の個性。これは万国共通何語でも大変。Oh. that's good.「ああ、良かった」も、英語だと普通はthat's が雑(しゃれ?)で、goodだけにストレスが置かれる。正しい英語としてはそうかもしれないが、Ohという感嘆詞の感嘆はもちろん、that's にもよかったー! という思いを入れて欲しいのだ。

 これは、近藤さんに限らず、帰国子女の和恵さんも、いや、ネイティブのアマンダやナンディータでさえも、.Oh. that's good.のグッドだけを強調してあとのことばは、グッドを支えるためだけの、感情のないことばになっていることが多いのだ。そこだよ、そこ。うんうん。ネイティブのスピードだと、極端な話、そのグッドさえも、強調されているかどうか(気持ちがこもっているかどうか)私には聞き取れていなかったりする。そこだよ、そこ。

 相本の電話は小休止して、ラスト近くの相本、せつこ、それぞれの長ぜりに行く。また、日本語でやって、次に英語という風に。近藤さんの日本語バージョンで、さらに発見。
相本  ちょっと愚痴ってもいい?
せつこ どうぞ。
相本  おれさあ。
せつこ はい。
相本  必死に働いたの。この年まで。忙しいのに人は減っていくし。仕事は増えるしさ。何でもかんでも俺なんだよ。(後略)

 なんというか、「愚痴」のプロトタイプを演じているように聞こえるのだ。「おれさあ」の「さあ」に愚痴ですよぉ光線。「必死に働いたの」の「たの」にも愚痴光線。意味のないことばに「愚痴」の魂が入っているのではなく、「愚痴節」の節をなぞっているようで、何が辛いのか意味が伝わってこないのだ。やはり、「死にそうな中年男」同様「愚痴る男」という型がよくないのだと思う。上記と反するようだが、「さあ」とか「たの」の演歌のこぶしみたいな愚痴節を細かくそぎ落として、なるべくフラットにやってもらう。うん、ちゃんと哀れになる。哀れっぽく言おうとすると、その言葉の持つ哀れさは死ぬのね。ああ、難しい。

 俳優のみならず演出家の私にも、今日の稽古は光を与えてくれた。(なんか、日本語堅くなってるなぁ)明日も、この稽古します!


2006年11月30日 とか言っているうちにリーディング・シリーズ第一夜である

 2時より、近藤さんのアパートメントで3人稽古。相本の電話を日本語と英語でやる。さらに、せつこ一人が残ってマッサージを始めるところから、しばらくを英語で注意点があれば止めながら流し、最後までいかずに、せつこの長ゼリで終わり。


リーディングで胡座は、珍しいかも(本番)
 本日のめーんえべんとは、相本の最後の電話。近藤さん、昨日の指摘を踏まえ、ひたすら淡々とやる。演出家は欲深い。決して、歌のように節をつけるのではなく、しかし、このシークエンスの中で緩急が欲しいと要求。とつとつと始め、ドンペリや部屋への言及は明るく、いっきに流れるように。自殺場所としての部屋の良さも、その勢いのまま、しかしトーンを変えて。相手の男の悪口は堰を切ったように。最後は、本当に、本当に切実に。特に、ポイントの台詞が三つある。「なんとかならないかな」は、情けなさとおもしろいおじさんとして彼女に対して作ってきたであろうキャラの表現と、なーんちゃって冗談冗談とまだ戻るかもしれない優柔不断さがないまぜになった感じ。なるべく複雑な色を出して欲しい。「俺、もう帰れないんだよ」は、本当に真実思っているこたが、ぽろっと正直に。「あのさ、ひとりじゃ死ねないんですよ」は、切実どストレートで。ああ、こんなに説明していいんだろうかっていう位説明したら、日本語バージョン、ちょっとウルっと来そうになった。

 さて、英語版。三つのポイント台詞は、以下となる。

なんとかならないかな。
Can we work this out?

俺、もう帰れないんだよ。
I, I can't to go back now.

あのさ、ひとりじゃ死ねないんですよ
You konw, I don't think I can die alone.

 日本語が功を奏して、かなりいい感じ。むしろ、
相本 あんた、馬鹿だよ。馬鹿だよ。
Aimoto : You're stupid. Stupid!
のニュアンス(声がほんの少しひっくりかえるくらい高く)を指示。ちょっと細かすぎるなぁ、私。

 せつこが、もういいからと追い出されるシーン。和恵さん、淡々とし過ぎているので、野島のチップよりさらに多い(せつこは知らないが)、信じられないくらい高額であること、本気でマッサージをまだ続けたいことなど確認。ぱっとよくなる。

 19:30からリーディングなので、18時には稽古を終わって、いざ、42丁目の台北カルチャーセンターへ。リーディング第一夜は、"It is said the men are over in the steel tower"「男たちはその鉄塔にいるという」(作:土田英生)である。演出は、Ronit Muszakablitさんという若い女性演出家。経歴を拝見すると、ドイツ生まれのイスラエル育ちで、アクターズ・スタジオで演出の学位を取ってらっしゃる。「鉄塔」は、"The Happy Lads"というタイトルで、来年、リーディングではなく公演を予定しているのだが、それの演出もされるという。私はこの作品、去年、ハナオフで水下きよしさん(花組芝居)演出の公演を拝見している。奇遇だなあ。5人の俳優さんたちが実によくて、全く稽古なしで18:30に集合して初見で読んだというのを聞き、さらにびっくり。ま、間とか、関係性の確立とか、言い出せばきりがないのだが、初見でこれってすごいなぁ。いや、私は稽古が好きだからいいんですけど。役の名前は、上岡とか吉村とかのままで、いかにもアメリカ人の5人の男性が演じていたのだが、私には、やっぱりそれが面白かったです。お笑いをどうするかは、課題? 本公演に向けて、土田さんは来週からNYにいらっしゃってWSをするそうで、どこをどう変えていくのか、非常に興味深いです。『素振り』公演のため急いで帰国せねばならず、参加できないのが残念。


2006年12月01日 アクシデントというもののは起こるのである

 雨。あったかい。時差と戦いつつ、近藤さんのアパートメントで最後の3人稽古。女将と野島のシーンを飛ばして、止めながら最後まで通す。いい感触! 小屋入り後のだんどりやビデオ撮影の確認をしたりしてから、リーディング・シリーズ2日目を観るために、3人で42丁目へ。一人芝居である。挨拶したり、トイレに行ったりして、ぎりぎりに席につくと、なかなか席に来ない近藤さんが「千夏さん、千夏さん」と呼ぶ。なんと、仕事でトロントに行っていて、今日NYに帰ってくるはずのナンディータ(野島)が、飛行機の欠航で帰ってこれないというメッセージが留守電に入ったのだとういう。えー?ーーっ! とにかく、劇場の外へ。じかに話していないので詳しい状況はわからないが、確かに、あっちの方には寒波が来ているらしく、「青森も雪らしいですよ」なんて笑いながら、大風とか雪とかの話をさっきもしていたのだ。メッセージでは、一番早い電車で16時着と言っているらしい。えーーーーーっ! 知っている女優に電話をかけまくるか。あ、なべげんプロダクションでは、明生くんや良洋くんだったのだから、男の子でもいい。しかし、今からつかまるのか。明日の朝の稽古だけで、いけるのか。いくら、短いシーンで、リーディングとはいえ・・・。

 ふと、3日前にランチした、かつての同級生ロクサーヌの顔が浮かぶ。ナンディータと同じ、お目目ぱっちりマタタキ系のかわいこちゃん。今は博士課程で勉強しているが、大学時代は、女優になろうかどうしようか迷ったという、舞台経験も豊富な彼女。なによりも、拙作『D』のドラマターグもしてくれたし、一緒に課題をたくさんやったから、私の意図を誰よりもぱっとくみとってくれるに違いない。電話してみる。おお、ぱっと出る。
「ロクサーヌ?」
「ああ、千夏。この前は話できて楽しかったね」
「あのね、アクシデントなの。明日、観に来てくれるっていってたけど、出てくれない? 10時のリハに来ることは可能?」
「えーっ。・・・いいよ!」
「ほんと?」
「ま、一種の面白いことよね(あえて直訳)で、何があったの?」
「これこれしかじか」
「おっけー」
「じゅ、明日の朝、10時に劇場で」

 こんなに準備万端整えても、こんなことが起こるのがシアターワールドなのね。さて、明日はどうなることやら。しかし、ほんとに、ロクサーヌがぱっとつかまってよかった。神様はいるのね。(私がやるってわけにもいかないしね、いくらなんでも・・・)

 という訳で、劇場に顔を出したにもかかわらず、第二夜の「Gunpowder Man」by Rick Forster, Directied by Yukako Yamazoeは、パスさせて頂いて、帰宅してもろもろメールしまくる。心の余裕がありませんでした。ごめんなさい。


2006年12月02日 泣いても笑っても本番である

 帰りの飛行機で書いてますので、長いです。

 8時、近藤さんから携帯に電話。「ナンディータ、今朝6時にNYに着いたそうで、集合時間の10時には30分くらい遅れるけど、来られるそうです」。良かった。切って、そのまま、ロクサーヌに電話。代役の必要がないことを告げ、急なお願いにも関わらず引き受けてくれてどんなに助かったか、そして、やっぱり急に要らないとか言い出して本当に申し訳ない、というようなことを平謝る。こういう時は、英語が本当にぐしゃぐしゃになる。ロクサーヌは「fine」を連発していたけれど、久しぶりに日本から来て、お騒がせな奴だと思っただろうね。ほんとうに、ごめんなさい。

 9時55分、劇場のある台北カルチャーセンターへ一番乗り。ジャパンソサエティから平台と箱馬を借りてくる近藤さん、スペンサーはまだ。パイプイスと譜面台の位置を、一人で舞台に上がったり下りたりしながらだいたい決める。劇場の照明さんであるアッツァイさん(発音できないんだなぁ、これがまた)に、平台が来てから最終的に照明の位置を決めるが、だいたいこんな感じだと伝える。まず、アマンダ到着。練習の成果を聞きたいところだが、ぐっと我慢して、「ナンディータのこと、聞いた? 大変だったのよぉ」などと、世間話。和恵ちゃんも来る。昨夜、ごめんなさいしたリーディングのひとり芝居、なかなか良かったという。そうこうしているうちに、平台とともに近藤さん、スペンサー、音響を手伝って下さるシアター・アーツ・ジャパンの山添さんがやってくる。長箱馬、持ち手が正円で雑黒できれいに包まれている。舞台下手に、少しだけ斜に起き上からシーツをかけたら、ほとんどなべげん日本公演のときのベッドと変わらないい雰囲気になってきた。よしよし。そうこうしているうちに、ナンディータ登場。全員で拍手喝采。わー、えがったえがった。って、まだ、これからなのにね。近藤さんにベッドに寝てもらったり、座ってもらったりしていたら、全員が定位置へ。まだいいのよといっても、座っておしゃべりしているので、そのままいてもらって、照明合わせ、音響の確認。11時から予定のゲネは15分ほどずれこむ。


ゲネ後のダメ出しを真剣に聞く俳優たち
 ゲネ、おおむねオッケー。いくつか、ノート。あ、アメリカでは、「ダメ出し」って言わずに、「give notes 」っていうんです。ダメ出しだと、なんかネガティな注意ばっかりな感じがするので、こっちの表現の方が個人的には好きです。相本、野島が部屋に入ってきてチップを渡すまでの立ち位置の指示、野島と女将再登場のときにせつ子が立つなど、主にポジショニングに関するノートを伝える。アマンダの33箇所巡りの部分は、完璧ではないが、かなり良くなっていたので、「すごい!」「ものすごーくよくなった」とかほめ倒す。で、もしもミスッたときには(ゲネでは4、5箇所ミスっている)、とにかく言い直さないでそのまま続けるようにと指示を出す。あとは、相本の最後の電話と「ちょっと愚痴ってもいいですか」の長ゼリがよくない。稽古のときにできていたことを、そのままやって欲しいと伝える。プロデューサーも兼務の近藤さん、本番のときは気持ちの切り替えが大変である。申し訳ない。ゲネ終了は12時40分。開場まで1時間ない。ふう。

 さて。お客さん、続々いっらっしゃる。着替えが終わっている楽屋は、実に和気あいあい。近藤さんと和恵さんは、まじめにスクリプトを確認している。まずは演出家の挨拶からである。山添さんからキューが出る。みんなに、「When we start our show, we say YOROSHIKU ONEGAI SHIMASU in Japanese.」と説明して、「よろしくお願いしまーす」と言い合う。下手奥から私が舞台に出ると、明かりが来た。「本日は、ようこそいらっしゃいました。私はこのリーディングの演出家で、千夏です。日本から来ました。この秋、この芝居の劇作家である畑澤のカンパニーがこの40 Minutes from the Backの公演を日本でやりました。そのとき、私はドラマターグとして参加していました。日本以外のところで、とくにこのNYで、この戯曲を紹介できることをとてもうれしく思います。劇作家は残念ながらここに来ることができず、彼は非常に残念がっていました。彼からみなさんへのメッセージがあります。本日はご来場ありがとうございます。そこにいられなくて残念です。私は確信しています、みなさんがこのリーディングの後、絶対にマッサージを受けたくなると」メッセージは嘘ですが、一応、ウケましたので、神様、どうかお許しください。私が舞台から直接客席に降りると、おもむろに俳優達は舞台へ。


本番開始。スペンサーが設定を読みはじめる
 本番。一番心配されたアマンダ女将は、ほぼノーミス! しかも、余裕をかまして、どの稽古よりも一番いい演技を見せる。うーむ、本番に強い人だったのね、アマンダ。一方、稽古ではほとんどノートがなかったナンディータは、トロント事件の影響で疲れたのか(確かに、ゲネ終了後、舞台上のベッド! で寝ていた)、ミス連発。もともとスペンサーと同じ位早口なのだが、自分でそのスピードについていけなくなる位、さらに早口になっているのである。これって、もしかして、あがってるの?
 和恵さん、演技は稽古のときより若干過剰。今回、マッサージをしている状態を観客にイメージさせるために、相本の背中に手を触れているように(実際には触れない)、ベッドの方向に手を伸ばすというだんどりがあり、常にそうしていることは不可能だし変なので、どこで手を伸ばして、どこで手を伸ばすのをやめるかというだんどりをいちいち決めていた。ところが、和恵さん、それを全くやらない。最初の一つは、忘れたと思うのだが、最初やらなかったから、その後全部やらないという判断は、彼女が学んで来た方法論の中では正しいのだろうか? 最後、相本も手を伸ばすだんどりがあり、近藤さんは稽古どおりやったので、ちょっと演出意図がわからないものになってしまった。演出家としては、「最初忘れても、思い出したところからでもやってください」という指示を出したいところだが、本番で初めて見たミスを先回りしてノートすることは不可能だ。何度も仕事をしているうちに、俳優にわかってもらって解決することなのか? ま、和恵さん、次また。

 観客の反応は、日本とおおむね一緒。野島というのは、出番が短い割には実に重要かつ難しい役である。野島のその日のでき如何で、相本の電話中に笑いが起こるタイミングも変わる。今回は、ナンディータのあまりにあせりまくったしゃべりに、観客は笑うことができず、33箇所巡りで精一杯のアマンダが、全くナンディータのペースにならず、自分のペースで貫き通したのが、逆にラッキーだった。イギリスアクセントのいかにもきどった感じで、くすくす笑いが起こり、三十三ケ所巡りは、緩急はなかったが、とにかくやたら全部言う! という力技で笑いを勝ち取った、そして、その勢いで、I'm still young, though.(まだ、若いですけど)もウケる。

 アメリカ人の観客は笑い過ぎなくらい笑うのだけれど、それを差し引いても、意図したところで笑いが起こらないよりは、意図通りにウケてくれた方がよっぽどいい。苦労した「お坊さんの頭ツルツルだけれど」の台詞でウケてくれたのは、うれしかった。あと、せつこがどう教わったかお坊さんのことばを引用するくだりは、ヨーダのように言うという演出をつけたのだが、それがウケたのもうれしかったなぁ。「背中から40分」という芝居は単なるコメディではないけれど、笑って、笑って、笑って、そのうち、だんだん抱えている哀しみが伝わってきて、静かに心が通いあって(せつこと相本だけでなく、舞台と観客も)終わる芝居だと私は思うので、前半ウケればウケるほど、成功に近付くように感じる。そういう意味でも、ほんとうに十分な手ごたえを感じることができた。

 終演後、ロビーではワインがふるまわれ、挨拶とハグの嵐。50人強のお客さまは、3日間のリーディングで一番多かったらしい。ロクサーヌにもろもろお礼。レベルの高い戯曲で演出もいい、女優が帰ってきてよかったねと言ってもらってほっとする。日本演劇研究で博士過程を修了したローレンと、宣伝文句に「KABUKI」と使ったことについて話す。「33箇所はソネザキね、でも、この芝居は歌舞伎ではないですね」との彼女の指摘(そんなこと言えるアメリカ人は世界に10人くらいしかいないんじゃないの?)から、ロクサーヌもまじえ、日本のインターネットで知り合っての自殺の話とかになる。青年団演出部の田野邦彦くん(青年団リンク・RoMT主宰)が来てくれていて、この芝居をあえてNYでやることが面白いという感想をもらう。エゲレスの大学院で英国の芝居を勉強した本格派の彼だが、二人で死ぬ心中という概念を現代演劇として、しかもウェルメイドでやるのは、すごくいいと御墨付きをくれる。観てくださって本当にありがとうございました。

 平台と箱馬を台車にのせて、近藤さんとシアターアーツジャパンの宮井さんが交互に押す。あとのスタッフ、和恵ちゃん、Kちゃん、私もゆっくりと歩いて移動。「お坊さんが通ったら代わればいいんじゃにですか?」高層ビルの立ち並ぶマンハッタン、それもミッドタウンを平台を運ぶ姿に、どんな不思議な格好をしている人がいても振り返らないニューヨーカーが、けっこうじろじろ見ておりました。


おつかれさま。ロビーでパーティ
 さて、ちょっと、あと書き気分で。すべてが終わって、さまざまな疑問が去来する。日本で芝居を打つこととNYで芝居を打つことは、何が違うのだろうか? 求められる芝居は違うのか? いい芝居の種類は違うのか? 日本の芝居をどのような形で見せたら、アメリカ人の観客は理解できるのか? それは、他の国の人とは違うのか? 理解してもらうために、オリジナルを変えるというのは、一体どういうことなのか? 演出は、そもそも戯曲を解釈して実体化して見せるという一種の翻訳である。そこにテキスト自体、言語の翻訳も加わるとき、それは二重にねじれていくのか? 何をどう変えることがよいアダプテーションなのか? 奥が深く、面白く、そして、難しい。一つだけ間違いないのは、今回のプロダクションは、2003年に帰国してぷつっと途切れていたように感じていたNYでの演劇の勉強と、今現在日本で行っている演劇活動がちゃんと重なり、自分の中でつながった瞬間だったということ。帰国するときは、少なくても半年に1度は仕事でNYに戻るつもりだったのである。こうやって、ゆっくり続けていけばいいんですね。こういう機会を与えてくれた近藤強さん、予算ゼロのプロダクションの中、快く宿泊先を提供してくれたAちゃん、Kちゃん、そして、今回のプロダクションで得た新しい出合いに感謝します。(ああ、こういう書き方がもう、アメリカな感じになってますね。さ、あと8時間で成田。おつかれさまでした。


<上演データ>
Theatre Arts Japan's Staged reading series
40 Minutes from the Back

Written by Seigo Hatasawa
Directed by Chinatsu Kudo
Translated by: Tsuyoshi Kondo
Translation Supervised by: Julia Granacki
Casts: Amanda Barron*, Spencer Scott Barros*, Tsuyoshi Kondo, Nandita Shenoy*, Kazue Tani
*appears courtesy of actors equity association

Place
Taipei Cultural Center of TECO in New York
1 E. 42nd St. (near 5th avenue)

Time and Date
Sat, December 2nd
at 2pm
Followed by talk back/reception

Ticket
Suggested Donation $10

For more information and reservation:
http://www.theatreartsjapan.org/StageReading2006.htm

Special Thanks to Theatre Arts Japan, Futoshi Miyai, Yukako Yamazoe, Eriko Ogawa, IPS Productions LLC, Mal Tominaga, D project